2月12日19時より放送される日テレ『衝撃のアノ人に会ってみた!』では、
年間100万人を動員する日光猿軍団を作った男が驚きの転身劇が明らかとなります!
なんと、あのレオナルド・ディカプリオも日光猿軍団に夢中になったそうです!
驚きですよね!!
この記事では、日光猿軍団の創設者である間中敏雄さんのプロフィールや経歴を始め、
日光猿軍団を創設するまでの苦労や劇的な転身、
そして間中敏雄さん夫婦の現在についてもまとめていきます!
それでは、見ていきましょう!
日光猿軍団の創設者・間中敏雄さんのプロフィール!
生年月日 1948年6月9日
出身地 埼玉県越谷市
間中敏雄さんは日光猿軍団の創設者です。
ちなみに、日光さる軍団とは
栃木県日光市にある猿まわしのテーマパーク。
1990年代に様々なテレビ番組で特集され、一世を風靡しましたよね。
記憶にある方もいらっしゃるかと思います。
ですが、2013年12月31日に猿の高齢化などを理由に一度閉園。
その後、2015年に再び営業が再開されました。
ちなみに、日光さる軍団はこんな感じです!↓
テーマパークの中やサルたちの芸も見れるので
ご興味がある方は是非、見てみてくださいね!
日常の風景が見れます!
間中敏雄さんのこれまでの経歴や劇的な転身は?

日光猿軍団の創設者である間中敏雄さんは、
7人兄弟の長男として埼玉県に生まれました。
間中さんは貧しい家庭に育っため、
家計を助けるために小学1年から中学校卒業まで新聞配達を続け、
卒業後は定時制高校に通いながら郵便局に勤務していたようです。
ですが、配達の仕事は間中さんにとっては物足りず、
6年ほど耐えたある日に
「今日限りでやめさせて下さい」と慰留の声を振り切り退職されました!
その後、八百屋や家電修理などの職を転々とするも
「ネズミ取り探知機」を扱う会社を宇都宮で設立したようです!
日光猿軍団の前にご自身の会社を作っていたなんて驚きましたね!
ですが、間中さんは「この商売には先がない。ここでやめよう」と決断。
会社を整理し、全資産を会員に分配し、
一夜にして大金持ちから無一文になったそうです。
そのため、間中さんが25歳の時にであった妻の清子さん(当時18歳)と、
廃品回収で生活費を稼がれたそうです。
ちなみに、間中さんは清子さんとの結婚を反対されたため
駆け落ちされています。
さらに結婚後も廃品回収、温泉の呼び込み、
タクシー運転手などいくつもの仕事を掛け持ちされています。
ここまで見た感じでは、かなり壮絶な人生を歩まれていますよね。
ですが、ある出来事が間中さんの人生を大きく変えることとなります!
ある日、間中さんがテレビをみていると
猿回しをしている光景が目の前に!
それを見た間中さんが思い立ち、3匹のニホンザルを購入したそうです。
独学で芸を仕込みながらサルの数を増やし、
「日光猿軍団」と名付けサルたちが机の前に座り、
コントを見せる「お猿の学校」がテレビで放映されると、
一躍人気に火がついき今や誰もが名前を聞いたことのある
日光猿軍団が創設されました!!
一つのアイデアがこんなにも人生を変えるなんて凄すぎますよね!
間中夫妻の現在は?

現在では、年間100万人動員するほどの人気となり、
全国各地からイベントに招待されるほどの人気となった日光猿軍団。
そのため、間中さんは移動のために4億円のヘリコプターを購入し、
超バブルな8億円の”猿御殿”を建設されたようです!
億の買い物ができるなんて、
年収も相当凄そうですね!!!
ちなみに、間中さんは現在では日光猿軍団だけではなく
バーベキューや釣りが楽しめキャンプ場を経営されています。
このキャンプ場の敷地は元は猿たちのために少しずつ買ったもので、7万坪以上にも及ぶそうです。
これにも驚きですね!
まとめ
今回は日光猿軍団の創設者である間中敏雄さん夫婦について調べましたが、
さる軍団が人気となったことから
かなりバブリーな生活をされていたようですね!
現在でも、キャンプ地を経営されており
裕福な生活をされているようです。
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