パリコレ界で最も愛されたモデル・山口小夜子の生涯や経歴、謎の死について【爆報!THEフライデー】

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12月6日19時より放送される『爆報!THEフライデー』では、伝説のパリコレモデルとなった山口小夜子さんの12年目の真実が明らかになります!

今回の放送では、57歳という若さでお亡くなりになられてた山口さんの謎に包まれた晩年や

生前最後の写真がテレビ初公開されます!

世界と闘った壮絶人生と活躍の裏にあった一発逆転劇とは一体何だったのでしょうか?

 

この記事では謎に包まれた山口さんの生い立ちからプロフィール、輝かし経歴を中心に

死の直前の山口さんの様子亡くなられた原因についても調べています。

ご興味のある方は参考にしてみてくださいね。

それでは、まずはプロフィールからご紹介していきたいと思います!

 

 

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山口小夜子さんのプロフィール

論座 - 朝日新聞社の言論サイト
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生年月日 1949年9月19日

没年月日 2007年8月14日

没年齢 57歳 

出身地 神奈川県横浜市中区

身長 170㎝

デビュー 1971年~

 

伝説のパリコレモデルとなった山口小夜子さんは

ご自身の経験や美貌を活かし

ファッションやアート界でモデル、デザイナー、女優、ダンサー、パフォーマーなど

といった幅広い分野で活躍しています!

 

日本だけではなく、世界をも魅了し虜にした山口さんの魅力はなんだったのでしょうか?

 

彼女の経歴をみるとその凄さがわかります!

それでは、経歴についてまとめていきたいと思います!

 

伝説となった山口小夜子さんの輝かしい経歴

 

山口さんは京浜女子大学横浜高等学校を卒業後、

杉野学園ドレスメーカー女学院に通っています!

 

この当時からファッションに興味があったようです。

 

山口さんは卒業後の1971年からプロのモデルとしてのデビューを果たし

高田賢三さんや山本寛斎さんのショーで一躍注目を集めると

一躍人気モデルの地位を築きました!

 

高田賢三さんや山本寛斎さんのどちらも、

今や日本のファッション界を牽引し世界で活躍されている方ですよね!

 

そんな方々が主催するショーで注目されているのですから

当初から相当な実力の持ち主だったに違いありません!

 

これまでに、

 

■1959年にルイ・フェローに見い出されて

アジア系モデルとして初めてパリコレクションに起用されちた松田和子さん

 

■1960年にピエール・ガルダンに見い出された松本弘子さん

 

といったお2人に続く、3人目の日本人として

山口小夜子さんはパリコレモデルに起用され

ニューヨークコレクションにも出演しています!

 

1960年代にパリコレクションで活躍した松田和子さんや松本弘子さんは大きな目でキュートな顔立ちの持ち主でしたが、

山口小夜子さんは切れ長の目と黒髪のおかっぱ髪で登場し

パリコレ界に日本人ブームを起こしました!

 

白い肌に切れ長の目

美しさを作り出す繊細なアイライン、

高い位置のチーク、

くっきり縁取った赤いリップによる彼女のエキゾチックな顔立ち

 

これらを持ち合わせた山口さんは

ヨーロッパで熱狂的に支持され、「SAYOKO マネキン」という

マネキンが欧米のブティックを席巻したほどです!!

 

なお現在でもアナスイニューヨーク店で使用されています。

 

 

日本独自の魅力を世界に見せつけた最初の人物が山口さんだったようですね!

 

ヨーロッパにはなかなか日本人系の顔立ち持つ方はいません。

そのため、若干の珍しさも功を奏した一躍人気を博したようです!

 

 

海外で活躍する傍ら1973年から1986年まで、

資生堂のモデルとして専属契約を結び「美」の普遍的イメージを国内外に発信しています!

 

1973年の『シフォネット』のポスターは今や

ハーフモデル全盛の時代に、黒髪おかっぱのいかにも「日本人らしい」モデルの登場

鮮烈に印象づけ、時代の転換点を体現したのかを物語る代物となりました!

 

活躍する幅はモデルだけにはとどまらず、

ファッションデザインや服飾品のプロデュースも幾度となく担当し

1977年には、雑誌『ニューズウィーク』の

「世界のトップモデル6人」にアジア人で初めて選ばれています

 

 

ここまでみると、山口小夜子さんがいかに時代を牽引し

日本人の魅力を世界に発信していたかわかりますよね!

 

まさに、日本人モデルが世界に通用することを示した人物です!

 

モデル以外の活躍!

 

山口小夜子さんはモデルとしての活動の傍ら、

舞台および映画女優としての活動し

以下の舞台や映画に出演しています!

 

■『中国の不思議な役人』、映画『杳子』(1979年)

■ 半自叙伝的舞台『小夜子:山口小夜子の世界』(1980年)で主演。

■ 舞台『忘れな草』(1986年)

■ NHK音楽ファンタジー『カルメン』(1989年)、

■ 糸あやつり人形劇団 結城座の人形たちと共演した『ペレアスとメリザンド』(1922年)

 

一方、舞踏やダンスの分野では

 

■1986年にはパリ市立劇場を拠点として活動する舞踏グループ 山海宿からメソッドを学び、写真集『月 小夜子/山海塾』で共演。

■1987年には、勅使河原三郎やKARASとのコラボレーションを始め、ダンサーとして、1996年頃まで彼らと活動。

■音楽や舞、ファッションショーが一体化した壮麗な舞台の出演

■クリエイターとしても舞台の衣装を数多く担当

■オペラ『青ひげ公の城』で、衣装デザインを担当

■フランス・リヨン国立歌劇場で初演されたオペラ『三人姉妹』の衣装デザイン

■舞台『リア王の悲劇』の衣装デザイン

■『夢の浮橋~人形たちとの<源氏物語>』の人形デザインおよび人形遣いのスタイリング

 

上記のような舞台や女優、ダンサー、演出家、デザイナーとして

アートやファッション界でも活躍しています!

 

 

山口小夜子さんの謎の死

 

山口小夜子さんは2007年8月14日に急性肺炎のため亡くなられています。

 

葬儀は親族だけで執り行われ、9月19日にはお別れの会が開かれました。

 

生前、最後の出演映画となった『馬頭琴夜想曲』にて

その1週間ほど前に会ったばかりだった

木村威夫監督は「体調が悪い様子はなかった」と語っている事から、

いかに急逝だったかがわかります。

 

57歳とお若いなか亡くなられてますから

ファンの方もさぞ悲しんだに違いありません。

 

なんの前触れもなく亡くなられた山口小夜子さんですが、

 

2015年に東京現代美術館にて開催された「山口小夜子 未来を着る人」にて

『山口小夜子』さんを知らなかったはずの世代にも熱狂的に受け入れられ

最終日だけでも3000人を動員し、入場者数5万5千人です!

 

彼女が体現したような「纏う」ということ、

現在のファッションとアートの交錯を先駆するような存在であることから

現在にも通ずるファッションの本質の再考の機会として受け入れられたようです!

 

まとめ

今回は日本のモデル界を牽引し、世界で最も愛されたパリコレモデル・山口小夜子さんについてまとめましたが、いかがだったでしょうか?

そのすごさが経歴から溢れ出していましたね。

そして何より亡き後も、影響を与え続ける山口小夜子さんの

ご冥福をお祈りいたします。

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