野村克也の兄との確執や原因!生前最後に再開した相手や関係は?サッチーとは略奪婚⁉【爆報ザフライデー】

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2月21日19時より放送される『爆報!THEフライデー』では、

今月11日に亡くなられた野村克也さんの

生前最後のテレビ映像が放送さています。

 

野村監督というと、

マー君の恩師でぼやきと言われる名言が印象的ですよね。

「マー君、神の子、不思議な子」という

野村さんの言葉を覚えている方も多いかと思います。

 

この記事ではそんな野村克也さんの

プロフィールや経歴を始め、

晩年やサッチーこと(沙知江)さんとの出会いや結婚、

兄との確執や最後に再開したお相手やサッチーさんとの関係についてもまとめていきます!

それでは、見ていきましょう!

 

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野村克也元監督のプロフィール!

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生年月日 1935年6月29日

没年月日 2020年2月11日

享年   84歳

出身地  京都府竹野郡綱野町

(現:京丹後市)

血液型  B型

身長   175㎝

体重   85㎏

 

元野球選手(捕手)でノムさんという愛称

多くのファンから親しまれた野村克也さん。

 

そんな、野村さんは選手として

  • 史上2人目の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)
  • 選手出場試合数歴代2位
  • 監督出場試合数歴代3位
  • 通算本塁打数歴代2位
  • 通算安打数歴代2位
  • 通算打点数歴代2位
  • 通算打席数1位(11970打席)
  • 通算打数1位(10472打数)
  • 通算犠飛数歴代1位(113犠打)
  • 通算併殺打1位(378打)

ベストナイン19回受賞で1位などの記録を持つ選手です。

 

特に1963年に記録した52本塁打は

後に1985年に落合博満さんも記録していますが、

日本出身選手の1シーズン最多本塁打記録となっています!

 

また、監督としても(1989年1月8日 – 2019年4月30日)期間の最多勝利記録(1,053勝)を保持し、

プロ野球ではホークス、ヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任したほか、日本体育大学客員教授なども務められており野球以外にも教育者としても一面もあるようです。

 

さらに、元東北楽天ゴールデンイーグルスでは2012年まで名誉監督を務められました。

 

プロ野球選手として数々の輝かしい成績の残された野村克也さんですが、

その人生は苦労に充ちたものでした。

 

それでは、野村さんの生い立ちや野球を始めた理由を見ていきましょう!

 

野村克也さん生い立ちや野球を始めた理由!

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京都府京丹後市出身の野村克也さんは

食料品店を営むご両親の元にお生まれになりました。

 

しかし、父の要市さんは野村さんが3歳の時に

道端の供え物の柿を食べて亡くなったらしく、幼少時代に情けない思いをしたそうです。

 

また、綱野町(現:京丹後市)は丹後ちりめんの産地であり、

裕福な家庭が多い一方、野村さんの家庭は貧しく劣等感にさいなまれる幼少期を過ごされています。

そのため、野村さんはかなり苦労をされたようです。

 

看護師だった母親のふみさんは病弱で、

野村さんが小学校2年生と3年生のときに二度も癌を患ったため、

一家は極貧といっても過言ではない状況に陥ったこともあり

野村さんは兄と共に

家計を助けるため小学校1年生の頃から

新聞配達やアイスキャンディー売りなどのアルバイトをされています。

 

小学校1年生からバイトだなんて

今では考えられませんよね。

 

そんな、野村さんは貧乏な生活から脱却したいとの思いから、

将来は歌手になろうと中学校のコーラス部に所属したり、

俳優になろうと映画館通いをしたりしていましたが

当時プロ野球の大スターであった

赤バットの川上哲治、青バットの大下弘への憧れ

大友工投手の影響を受け次第に野球選手を志すようになりました。

 

野村克也さんの野球人生やこれまでの経歴!

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野村克也さんは中学2年生で野球部に入ると、

すぐに4番・捕手に抜擢され、

3年生の時には奥丹後地方予選で優勝されています。

 

また、京都府大会でも四強に入り青年団の補強選手にも選ばれており

野球の実力は折り紙付きです!

 

ですが、当時の野村さんは優秀な兄を大学に進学させるため

母から中学卒業後は働くように言われたいました。

 

しかし、大学受験を断念するという兄の計らいにより、

野村さんは京都府立峰山高等学校に進学。

 

その後に内緒で野球部に入部するも

入部したことが母にばれ、

退部するよう言われますが

顧問の取り計らいにより野球を続けています。

 

しかし、当時の野球部は地方大会で1回戦負けが常という弱小チーム

当時は廃部も検討され、

野村さんも全くの無名選手でした。

 

しかし、野村さんの可能性を人事ていた顧問がプロ球団の監督に手当たり次第に推薦状を送り、

南海監督・鶴岡一人さん(当時は山本姓)だけが返事をくれたそうです。

 

実際に試合を見に来た鶴岡監督が見守る中

ランニングホームランを放ち、

野村さんはホークスに契約金0のテスト生として入団が決定されました!

見事、ホークスに入団された野村さん!

 

ですが、なかなか成績は振るわず

マネージャーから戦力外宣告を受けたこともあります。

しかし、「もしここでクビになるようなら生きていけません。南海電鉄に飛び込んで自殺します」と辛抱強く交渉し何とか残留。

 

その後、肩の弱さから一塁手に転向させられるものの

自ら筋力を鍛え、遠投で肩を強化。

 

そして、3年目春季キャンプで一軍に抜擢され、以降正捕手に定着したされました。

 

恩人である兄・嘉明さんとの確執!原因はサッチー?

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野村克也さんの兄である嘉明さん

中学校を卒業後に就職する予定だった野村さんを高校に進学させ、

プロ野球選手にするきっかけを作った人物です。

 

そんな、嘉明さんは高校卒業後

島津製作所に入社され

数年間働いた後に、大学へ進学されました。

 

数年間働きながら

野村さんの高校の学費を稼いでいたようです!

感動的ですね!!

 

大学を卒業後は某有名企業に就職し、

定年退職まで勤め上げ、

定年後も系列会社に数年間勤務されていることから

会社ではかなり信頼される存在だったと言われています。

 

しかし、野村克也さんと兄の嘉明さんは、

なんと40年間も確執により会うことはなかったようです

 

この確執の原因は野村さんと妻の沙知代さんがW不倫の上ご結婚されたことが理由です。

 

スキャンダルに対し

嘉明さんは

「妻子ある身で不倫。妻と子供を捨てるなんて自分勝手な行動は言語道断」

という手紙を送り激怒。

 

また、当時の野村さんはご結婚されており

沙知江さんもお子さんがいる中で結婚されています。

 

そのため、二人の結婚に嘉明さんは強く反対したようです。

 

ですが、沙知代さんが亡くなった後の

2018年4月に放送された『爆報!THE フライデー』の番組でおふたりは共演し、久々の再開。

 

野村克也さんを献身的に支える沙知代さんの姿を見て

「結婚に反対したことを非常に申し訳なく思っている」

と謝罪されたようです。

 

その言葉を聞いた野村監督は

「今、あの世で喜んでいるよ。相当、兄貴と沙知代さんの間には誤解が多かったと思うんで。あの世に行く前に本当に話ができてよかった。長生きしろよ」

と語り和解されました。

 

生前の野村さんが沙知江さんへの思いを語られています。

沙知江さんへの愛がしみじみと感じられます。

 

 

和解するまで、かなりの時間がかかりましたが

仲直りできてよかったですね。

 

野村克也さんが最後に会った人は誰?関係は?

野村監督は死の18日前

野村さんを心の師と仰ぐ元プロ野球選手に会っています。

 

その野球選手とはG.G.佐藤さんです。

スポーツ報知
報知新聞社のニュースサイト「スポーツ報知」です。報知新聞が提供する巨人、プロ野球、MLB、サッカー、スポーツ、競馬、芸能、社会情報をはじめ、ゴルフ、レジャーなどコアな情報も満載です。

本名   佐藤 隆彦(さとう たかひこ)

生年月日 1978年8月9日

出身地  千葉県市川市

身長   185㎝

体重   98㎏

 

G.G佐藤さんは北京オリンピックで金メダルが確実とされた

韓国との準決勝で落球

 

これが原因となり、日本は敗退し

メダルを逃しました。

 

当時の佐藤さんは年俸が1億円を超えるスター選手!

ですが、このことが理由となり

成績が振るわず野球を引退。

 

その後は、父の会社である株式会社トラバース

(地盤改造工事会社)に未経験から入社されています。

 

ですが現在では、

■宅地建物取引士

■測量士補

■2級土木施工管理技士

の資格を3年間で習得し、

部下100人をまとめる営業所長にまでなられています!

 

佐藤さんは沙知代夫人がオーナーを務めていた野球クラブのご出身。

そのため、卒業時に野村さんから

頂いた「念ずれば花ひらく」という言葉に励まされたようです。

 

まとめ

今回は野村克也さんのプロフィールや経歴、

サッチーさんとの結婚やお兄さんとの確執など

についてもまとめましたが

いかがだったでしょうか?

野村さんは皆さんがご存知の通り

素晴らしい野球選手でした!

天国でもお幸せに暮らせることを祈ります。

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